知らないあなた
 


     2



陽が落ちて姿を隠しても まだまだずんと明るいだろう、
秋というより夏の末と言った方がいいような頃合いの黄昏時。
何処に居つく其れか、
場末とはいえこんな街中なのに聞こえて来るのはヒグラシの声。
カナカナカナカナと寂寥感を込めた物悲しい声音が、
残暑の余燼が垂れ込め、どこ掠れた感の漂う今時分の夕暮れにはよく似合う。
町はずれの雑居ビルの路地裏には、両側に迫るコンクリの壁が一日中影を落としており、
視野の先、通りへぽかりとあいた出口の明るみが見えるせいで、
何とかまだ宵には早い刻限だと判るのだが、
全身じっとりと汗にまみれた身には、もはやそんな判断力も乏しくて。
不意に聞こえたそんなBGMに気が付いて、
何処からだろかと顔を上げたのも、
今置かれている切迫した現状から あまりにかけ離れた音だったからかも知れぬ。
そんなよそ見を 油断と突くよに、

  ひゅっ・か、と

逃げ切れたと気を抜いた心胆を嘲笑うか、
いやさ、そんな感情さえ添わさぬ無慈悲なそれ。
生ぬるい空気を切り裂いて飛びかかって来た攻撃が、
容赦なく獲物の胸元へと突き抜けて、そこへ漆黒の棘を咲かせる。

 「あ…。」
 「逃げおおせられると思うたか。」

こそこそと学生や主婦を相手に危険ドラッグを売りさばいていた小者の売り子。
もちょっと大手の組織の末端、チンピラから手足にと雇われただけの一介の売り子だが、
追っても脅しても、数日たてば性懲りもなく商売に立つところが何ともぬるい輩だったので、
脅しすかしだけの単なるギャングとは違うのだという、いわば“実証”に出てやったまで。
気配もないまま近づかれたのだろ、単調な声が最後通牒を宣告しての曰く、

 「運がよければ助かるかも知れぬな。
  だが、次があったら間違いなくとどめを刺す。」

 「ひ…っ。」

ずくりと、重い感触が引き抜かれ、
ふたを開けたままのペットボトルの口から水があふれて止まらぬような勢いで、
何か生暖かいものがあふれて止まらぬ。
自分の身に降っている悲惨な事態にやっと気づいたらしい
ひいと悲鳴を上げるも声も出ぬまま、膝立ちになってわなわなと震えだす
イマドキの若いのから背を向けると、
漆黒の亡霊のような影は路地の奥へ平然と去ってゆく。



     ***


魔都と呼ばれし更夜のヨコハマには、それは妖冶な修羅がいる。
たった一人で、指一本動かさず、
数十人もの荒くれどもを
まさに瞬殺、一閃にて薙ぎ払う、それは美々しい夜叉がいる。

 「…ああ、△△地区の路地坂だ。一応の監視を。」

通話を終えた端末を切り、
白い手を外套のポケットへすべらせると、
やや不遜な態度なそのまま ゆっくりと歩み出す。
まだ宵と呼ぶには明るい残光の満ちた中、
こつりこつりと足音刻み。
路地裏の影の中に沈み同化する
黒々とした影のような存在は、だが。

 「……。」

 何を想うてか ふっと口許ほころばせると、
 たちまち印象的な存在へと鮮やかに変化して。

若々しい華やぎをまとうての瑞々しい年頃迎えた、
甘く儚げな、水蜜桃や杏もかくやという美しい幻の君。
どこもそこも嫋やかな線で構成された、
可憐なお顔になよやかな肢体…とまではいかないが。
殺戮に特化した異能を操り、
無慈悲な仕置きを眉一つ動かさずに遂行する悪鬼でありながら、
その繊細さや瑞々しい華やぎ、
若木の如き しなやか伸びやかな姿態の麗しさが、
物静かなところと相まって、それは冴えての凛と凄烈。
殺気さえまとわねば
淡雪のような印象のする透明感に満ちた美人さんであり。

 まさかに、こんなきれいな子が、
 マフィアの殺人鬼だとは誰も信じまいよ、と

愉悦混じりの称賛なのだが、皮肉交じりの揶揄なのか。
マフィアの禍狗としての黒ずくめのいでたちではなく、
年相応の拵えをと選んでくれた装いまとった自分へ
愛しいものを愛でるよに
頬を撫でてくれながら うっとりと口にしたお人の元へ、

  ああ急がねば、と

柔らかくほころぶ口許、ああ弛んではいかんと
かろうじて気が付いてのこと手で覆い。
それでも隠し切れぬ想いは飛ぶような心持ち、
死神が聞いて呆れる他愛のなさで、
待ち人からの “お帰り”目指すただの人のよに、
足早に帰途を急ぐ夕間暮れだった。



    ◇◇



そもそも その出会いからして最悪で、
騙し討ちという問答無用で略取しに来た側とその標的という、
捕食関係をまんま表したような強者弱者の構図で相対した二人。
まだまだ一般人と変わらない認識しか持ってなかった敦が、
ヨコハマの暗部というものと初めてにしては大層過激な接し方をしたその折に、
太宰というややこしい要素が関わる、ややこしい憎まれようをする布石も敷かれての、
波乱が起きないはずがないというよな初対面を為して以降。
ことあるごとに殺気を浴びせられ、襲撃を掛けられと、
単なる“人虎捕獲”の任だけで掛かってないだろお前と、
見習い探偵の身でも判るほどの
八つ当たりをスパイスにした怨嗟混じりな扱いを受け続けたものの。
個人的な喧嘩をしている場合じゃあないというよな強大な敵との対峙で共闘を重ねるうち、
不本意ながらも呼吸が合うようになり。
そもそもの遺恨の大元、
彼の人と禍狗さんとの拗れまくってた仲に縒りが戻ったこともあり、
いがみ合う要素がごそっと無くなった結果、
最近では非番の日には待ち合わせ、
愛しい人の情報交換も兼ね、共にいて時間を過ごすほどにもなっており。
なのでと、持って来るのはやや強引かもしれないものの、
そこは虎の異能や 背中を預け合ったあれやこれやで培われた勘が働いたか。
ちょっぴり不穏な気配を孕んでいた、
ようよう覚えのある黒獣の気配を嗅ぎ取って、
咄嗟に身を躱したそのまま、物騒な悪戯は止せとの叱咤半分、

 「約束してたのは明後日だよな?」

今日は会う予定ではなかったはずだけどどうかしたのか?と。
ぞんざいな言い方をしつつ、攻撃が飛んで来た方へ肩越しに視線をやったところ。
古びたアパートの二階、開放型の通廊の取っ掛かり、
西日と呼ぶにはもはや没した後の残光だけがほのかに白むそんな中、
もともとの拵えからして影のような “まっくろくろすけ”さんが立っている。
まだまだ暑いのにもう外套へ衣替えか?
いやいや もしかせずともこれから仕事なのかも知れぬ。
外套を黒獣へと転変させて攻撃に用いる彼の異能“羅生門”は、
何か羽織っていることが必須の能力ゆえ、
良かったなぁ、朝晩涼しくなって来て。
今年の酷暑では熱中症で引っ繰り返らなかったか?とかどうとか、
そんなありきたりで間抜けな思考が脳内をよぎったのと同時に、

  “………なんか。”

そう、何か変だと気が付いた。
虎の直感が拾ったそれか、
若しかして物騒な刺客の変装かも知れぬと警戒が立ってのことか、
いやいやそこまで危機的な感触じゃあなくて。
見慣れてきた間柄だから感じた違和感のようなもの。
ちょっとだけイメチェンしました、さあ何処だと提示されたようなささやかな変化。
若しかして髪切ったとか? いや違うな。
外套が新品だとか? そんなの一般ピープルには一目じゃ分からないって。
連日の徹夜で少しやつれてるとか?
だからってウチに来られても茶漬けくらいしかいたわりのブツはないけれど。
そもそもこいつ小食が過ぎるんだよな、
下手すると何日もお茶だけで済ますらしいしさ。
だからそんなに肩幅も狭くなって…あれ?


  「………えええ〜〜〜っ!」

  「五月蠅い。黙れ。」


あ、声もちょっと違うやと、
ずいぶんと不機嫌であらせられる相手の低められたお声に、
自分が察したことへの正解のようなものを見つけた少年。
そっか、じゃあ自分が今日担当したみたいに
メイクや何やで “女装”している訳じゃあないんだ、うんうん。
…なんて、そこへは何故だか“納得”がいった敦くん。
“此処”へ来たからには、中島敦に用向きがあってのことに違いなく。
というか、

 「太宰さんチは一階だよ?」
 「知っている。」

イラッとしたのか眉間のしわが一本増して。

 「…もしかして、何かの異能でそうなったのかな?
  だとしたらやっぱり太宰さんに…。」

あ、そうか、太宰さん帰ってないのか。
そういや今日は何か用があるとか言ってて、
毎度のことながら勝手に直帰扱いにして現場から姿消してたし、

 「〜〜〜っ

しどもどと言葉を連ねるこちらに、ますますと機嫌が傾いたらしい来訪者は、
細い眉を見るからにぐぐぅんと顰めると、
カツコツと小気味の良い靴音と共に歩みを進めて来て間を詰め。
白い手伸ばして来てこちらの襟元をぐいと掴み上げ、
わざわざ視線を合わせてから、それはそれは凄んで告げたのが、

 「やつがれとしては、
  貴様が男なのが確認になったと同時、
  失望したやら困惑したやらという順番なのだが?」

 「あああ、やっぱり〜〜〜。」

わあ、美人が怒るとこんなおっかないのかぁという実感と共に、
ひぃと震え上がった虎の少年。
失望し困惑していたところへの、間の抜けた問いかけに、
人の心情も知らんと此奴は〜〜とお怒りが膨らんだというところか。

 “でもそれって八つ当たりじゃあ…。”

そうとも思ったが黙ってた敦くんは、
探偵社の女性陣相手にいろいろな理不尽を学んだ良い子であったらしく。
此処で妙に耳年増な男衆なら、
気が利くつもりでか “もしかしてあの日?”なんて
余計なこと言ってますますとレディを怒らせるので注意しましょうね?

  じゃあなくて。

この文言から察するに、
この、風貌も風体も自分がようよう知っているポートマフィアの禍狗さんにどこか似た
だがだが、声の高さや線の細さ、
そういや髪も背中までと長いし、ちょっと小さくなってる姿態などなどから
性別は“少女”であるらしい存在は。
武装探偵社の敦を知っているところからして
そもそも芥川龍之介♂だったものが何らかの異能で女性へ転変したお人…かも知れぬとまずは思ったものの、
その想定とほぼ同時、
嫌な予感が想定していたもう一つの可能性の方へビンゴしたようで。
つまり、

 生まれた時から紛うことなくの女性であり、
 むしろ、知り合いの中島敦が男だというのが大きく違っているという環境にいたらしいお人ならしく

しかも、そういう人というか ケースにも心当たりがあるから、心が辛い。
あああ、またもや ややこしい事態勃発なのかと、
目の前の美少女の難儀にしっかと巻き込まれつつあること、
この段階であっさり察してしまった、不幸ホイホイな少年で。

 「ちょっと待ってよ、じゃあまたあの時空を飛び越えられる異能者が脱獄したの?
  何やってるの異能特務課、
  そんなにも もーりんさんのご都合に引っ張り回されてる場合?」

そういうメタ発言はやめなさい。(意味は各自で調べてね?)
コンディションがよければ
10階建てビルくらい、外壁を一気に駆け登れそうだったり、
銃撃された弾丸を真剣白“歯”取りできたり、(あ、受け止める方を言うんじゃないのか?)
脚を付け根から食いちぎられても数刻後には復活できたり
…な異能は常識外れだが、
思考の面においては一応常識人のはずな敦少年が。
大きに狼狽えつつも心当たりはあるからと
混乱はしないままむしろ納得しかかっている困惑へ、
ああもう ああもう、ボクには荷が重いってばと、気が重くなりかかっておれば、

 「おい、敦…あれ?
  何で手前が? 先に帰ったって報告してなかったか?」

階下の中庭から、階段は使わずの一気にふわりと飛び上がって来たのだろ
奇襲と言ってもいいだろうほど心臓に悪い、想定外な訪問者その2が掛けてきた声に、

 うわぁあ、と

嬉しいと喜色満面になりつつ、何で今?との困惑も混ざっての、
複雑な心情をまんま乗っけた微妙なお顔で。
黒い帽子が小粋にお似合いな、やはりポートマフィアの幹部殿のご来訪、
とりあえずは “援軍歓迎!”とばかり、諸手を挙げて飛びついてしまったのでありました。





  to be continued.(18.09.04.〜)


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 *もーりんさんたら どんだけ“にょた”が好きなの?と言われそうですが、
  直前のあの掴みどころのないお話も、そもそもこのネタへの前振りだったんだもん。
  しかもなんか
  こうまで長々展開させるような話かな?と書いてって思わんでもないような。(おいおい)